teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


現代の歴史

 投稿者:臨夏  投稿日:2008年 9月12日(金)01時08分33秒
  レス遅れてすみませんです、

高望みさんとは、世代が同じでしたか、どうもすみませんですw

高望みにいが、自虐史観ともよう似た立場にたつ、とは意外でしたが、
自虐史観自体はオカシナもんですしね、了解です


ただ、昨今の論調は、
>市民社会派・近代主義者・講座派の自虐史観というのは自虐のための自虐というか、むしろ、本人たちは自分たちのことを本当は鼻の低い東洋人だとは思っていないかのようなジャパン・バッシングに終始していますよね。あれは、やはりウヨでなくとも何なんだろう、と思うのじゃないでしょうか。

というような、理性的なものに裏打ちされてるんではなく、
もっとナマナマしいエゴ剥き出し、という感が有ります。


以下、:私感ですが、
わたしはどないもこないも、根っこが阪粋主義ですわ、
そのうち、天皇を擁して、東日本と断絶したい願いがあります。

天皇に関しては、それが帝国主義なり軍国主義なり、資本主義と関係をもつからおかしいんであり、
それらを除けた「純な天皇制」とは、もっと人に優しいんではないか、と思てます。

そう見たら、天皇制は、神道に近くなるんではないでしょうか、もちろん国家神道でなく。
「政治」的は天皇制は、消し去りましょう。
いまの天皇は、政治や資本主義のため、歴史のなかでかつてない、気色わるい別物に変えられてるようにも思います。


鄙親父さん、ご婚約ですか!
嬉しいことですね、
臨夏も喜んでいた、とお伝え願えますか。

おめでとうございます!!
 
 

>>倭人とポストモダン

 投稿者:高望み  投稿日:2008年 9月 8日(月)20時23分48秒
編集済
  昭和50~60年代にものごころついた年代という意味では大差ないでしょう。
ただ、僕は根っこの根っこが国粋主義的なものですから、自虐史観は、1981年中に見切ってしまいました。当然、司馬史観の影響が決定的でした。と同時に、当時は全く無自覚でしたが、いまから振り返ると日米自動車摩擦が浮上してきたのもまさにその頃でしたね。

おおむね1975年から1995年の日本というのは、いまの中国や韓国が通り抜けようとしている段階にあったのではないでしょうか。経済成長に伴う高揚感と自己肥大感が世の中全体を覆っていて、なかなかその時代の中ではそれを相対化するのは難しいような空気に覆われているのだと思います。

市民社会派・近代主義者・講座派の自虐史観というのは自虐のための自虐というか、むしろ、本人たちは自分たちのことを本当は鼻の低い東洋人だとは思っていないかのようなジャパン・バッシングに終始していますよね。あれは、やはりウヨでなくとも何なんだろう、と思うのじゃないでしょうか。

僕自身、根っこの根っこが国粋主義的なものですから、倭人性への自虐的な自己否定というのも、じつのところ、どこかで反転しうる核みたいなものを見つけ出したいという動機に由来しています。本当はみつからないかもしれないけど、ただ、上っ面だけ欧米の様式を真似することで進歩するだけ(=欧米への「同化」政策!)ではつまらないじゃないか、というモチーフが、やっぱりあるんです。

市民主義的な感覚の典型といえそうな佐高信という評論家が、いつかどこかで、西郷隆盛が好きか嫌いかが右と左のリトマス試験紙になるみたいなことをいっていたと思うのですが、ちょうど、いま読んでいるさらぎ徳二氏(第二次ブント第三代議長)の『日本資本主義の原像』という本の中で、西郷隆盛の心情と、ねじれた歴史的位置について、客観的ではあるが哀感のこもった分析をしていました。ここには市民主義的「左」とブント系新左翼とのコントラストが鮮明にあらわれているわけです。

>>話は変わりますが、鄙親父さんお元気ですか。

見事な霊感です! 先週末、婚約したとの報せが届いたばかり!
 

私党の自己都合

 投稿者:高望み  投稿日:2008年 9月 7日(日)23時13分31秒
  毎年のように、私党の自己都合による総裁選で国政が中断するというのが、この国の年中行事のようになっている。
アメリカならば、大統領が「もうできません」ということになったときのために、副大統領職というのが設けられていると聞く。
なんでもアメリカの真似をするしか脳のないこの国も、副総理という役職ぐらいあらかじめ設けておいて、遅滞なく国政を処理できるようにしておくべきではないのか。
今度の私党総裁候補にも、次の日本国首相候補にも、そのあたりのことを公約に掲げるぐらいの見識を是非示してほしいものである。
 

倭人とポストモダン、(付:加護)

 投稿者:臨夏  投稿日:2008年 9月 5日(金)22時30分5秒
  兄さんが、いつも「倭社会」という言葉で象徴的に示してはる、
われら日本人の、古代からの「うわつら進歩」と、そのじつ徹底的に改革してないから、
いつも土俗の古層が残ってしまう、という見解、(以上のいい方がおかしければ、ご批判くだされば幸いです)、
これはわたしなどは覚えておくべきものです。

わたしは、日本の社会の、ある意味「老成」、あるいは「右傾」によって、
日本を美化してしまいがちです。
つまり、日本て、結構ポストモダンやねんで、みたいな、流行の言説に乗せられて。

わたしの小さいときは、まだまだ西洋に「追いついて」おらず、
アメリカ様に文化的に全面屈服して、日本社会の後進性を「反省する」、いや「告発する」という、
また小林某輩とは少しずれそうな「自虐史観」全盛でした。

その後、司馬遼太郎なども参画していたように思いますが、
外人とか良心的知識人が、なんか歴史的日本の「先進性」をむやみに褒める攻勢がありました。
曰く、「識字率が昔から高かった」、曰く、「清潔好きであった」。

こういう波は、わたしの中高時代、おそらくクルマの生産高がめりけんを抜いたころから高まったような気がします。
高望み兄の「倭社会」批判は、それ以前の劣等感的批判とは、また地平が違うのでしょう。
わたしなどは、「日本褒め殺し現象」に染まってるんで、兄さんのご意見は貴重です。

また、とりわけ私個人、いやもしかしたら、わたしの世代のグローバリゼーションの結果としての、
「台灣などのアジア後進国から、進んだ日本を眺めて崇める」みたいな別ベクトルの「褒め殺し」もあります。

こういう言説の背景には、やはり時代や世代などの規定もありそうに思います。
表三郎も、よう日本社会タタキをしますが、なんか昔からの論調にも聞こえ、
いやアクチュアルなもんやぞ、と考え直しもし、ようわかりません。

高望みにいも、歴史に造詣が深いんですし、倭文明論みたいなご著作、モノしてくださいよ。
情況で、表と対談なんかしてくれたら、わたしは一番嬉しいですが(笑

話は変わりますが、鄙親父さんお元気ですか。
今度、大坂のテレビで、「加護ちゃんねる」ちゅう番組始まるみたいですね。
鄙親父さんは、見れるのでしょうか。
加護ちゃんが、喫煙してる高校生みつけては、路駐してるクルマをみつけては、批判して行く、
という世直しイヴェント番組のようです(笑
 

福田首相辞任

 投稿者:高望み  投稿日:2008年 9月 2日(火)09時24分14秒
編集済
  福田首相の電撃辞任のニュースをみても、正直、「あ、そ~う」という印象しか受けなかった。ちょうど一年前のあべチャンの電撃辞任は、真に「殿、ご乱心!」という衝撃だったのとは対照的だ。後任に麻生氏というのを決めておいて、禅譲のタイミングを十二分に見計らったうえでの出来レースにすぎない。

だが麻生氏としては、はたして解散・総選挙までの三日天下に終わるのか、山名宗全=小沢氏の率いる西軍相手に、泥沼の応仁争乱になだれ込み、世界激動の時代の荒波の中で「とてつもない日本」となってしまうのか、正直、なるようになれという気分なのかと想像してしまう。

いずれにせよ、福田首相としては、内閣支持率の低さで公明党に足もとをみられて、政権与党間の政策調整も行き詰まってしまい、早期解散は不可避の情勢となって、自民党内からも福田では選挙を戦えるわけがないという声が高まるのを見切った賢明な判断であろう。ルックスもキャラも地味この上ないのみならずこういう賢明な良識派が、日本国民にウケるわけもないのだ。

それにしても、21世紀の平成の御時世にもなって、岸信介の孫→福田赳夫の子→吉田茂の孫という政権たらい回しが現出しているというのは、じつによく本当の日本社会の民度を反映しているのだということを直視しなければなるまい。アメリカ占領軍による戦後改革の賞味期限がきれるとともに、地金が出てきたということである。共産主義国家でも世襲制でなければ収まらないどこかの国とはごく近い親類関係にあるのだ。(こういう政治審級の情況にたいして、相も変わらずサブカルチャー的な審級でだけガス抜きをして、左派リベラル的な感性をもった一般ピープルにいくばくかの慰安を与えてくれているのが、竹下元首相御令孫のDAIGOくんだ。また、父親の靖国一件での不始末を、東条英機の戦陣訓がもたらした愚かしい悲劇の実話ドラマに主演して尻ぬぐいしている孝太郎君も、いい意味で親孝行だと思う。)

そして、そういう社会の土壌の上に、「象徴天皇制」も乗っかっている。トータルな社会構成の認識も、現実を直視するところからはじめるしかない。

あらゆる歴史学的実証を無視して、君側の奸=スターリンが悪いのであってレーニンは悪くないなどいう「象徴レーニン制」が生き残っている国も先進国では日本だけなのだが、その心性の根っこはきわめて深いところにあるといわざるをえない。
 

福祉国家と「小さな政府」の両立可能性

 投稿者:高望み  投稿日:2008年 8月14日(木)03時48分6秒
   §1
「小さな政府」は経済効率がいいというのは、かなりの程度、事実であることは歴史的な経験から実証済みだとしよう。

 その上で、今日生じている「小さな政府の行き過ぎ」とみえる諸問題について、どのように考えたらよいのであろうか。それは、「大きな政府の非効率性」といわれる問題についてどのように考えるかということと同じである。

 「大きな政府」について、俗に、社会主義国家であり官僚制国家、行政国家であり福祉国家であるといわれる。よく、マスコミ論壇では、日本は官僚制の社会主義国家であり、福祉国家ではないが土建国家だといわれる。それは現象的にはその通りなのであるが、それぞれの範疇が無媒介に等置されすぎているのではないか。

 少なくとも、①社会(民主)主義国家・福祉国家と②官僚制国家・行政国家とは、範疇として大別すべきではないのか。なぜなら、社会(民主)主義国家・福祉国家は所得・資産の平等に軸がある国家理念であり、官僚制国家・行政国家は増大し肥大化する公共サービスの供給主体が政治家(立法府)や国民世論よりも主導権を握ってしまう状況を理念型化したものだからである。

 もちろん、社会(民主)主義国家・福祉国家は必然的に「大きな政府」を不可避とするので、官僚制国家・行政国家を随伴現象とせざるをえない。しかし、官僚制国家・行政国家は必ずしも所得・資産の平等を国家理念としているとは限らないので、社会(民主)主義国家・福祉国家と軌を一とするとは限らない。

 日本の官僚制国家・行政国家は、土建国家といわれてきたが、土建業を牽引力として国民生活水準の向上を実現してきた昭和後半期には、それは結果的に福祉国家的機能を果たしえていた。しかし、平成期にはいると、それはただ特殊法人に天下りする官僚のための官僚制国家へと変質してしまった。

 現在、個別日本という国で大きな壁となっている「大きな政府」をめぐる問題とは、このような意味での官僚制国家の閉塞感である。

 しかしながら、他方で、欧米諸国と共通な現象としての「大きな政府」の問題もある。それが、社会(民主)主義国家・福祉国家の問題である。
 次節では、欧米諸国と共通の福祉国家をめぐる争点について考えてみたい。

 §2
 福祉国家としての「大きな政府」が行き詰まり、「小さな政府」へと転換を迫られてきたのは1970年代後半以来のことである。それは、1970年代前半までのさまざまな福祉国家の実験、挑戦がことごとく失敗したことによるとされている。

 しかし、今日改めて振り返ってみると、当時において福祉国家が行き詰まった原因には複数のものが絡まり合っていた。
 第一に、高齢化社会の到来による老齢年金、医療保険の負担が増大しはじめた。
 第二に、ドル・ショック、第一次石油ショック、スタグフレーションによる経済危機である。経済危機は財政危機をもたらすから、福祉国家財政は維持困難になる。さらに、欧米諸国にとっては、日本からの集中豪雨的輸出もこれらの経済危機要因に加重した。
 第三に、エレクトロニクス、コンピュータなどの新しい産業技術によって産業構造そのものに地殻変動が起き始めた。
 第四に、第二次大戦後、各国ですすめられてきた産業国有化政策が失敗であることが明確となり(日本では国鉄の大赤字に象徴されるような)、経済分野における民営化、民間活力導入、規制緩和、自由化が声高に叫ばれるようになった。
 第五に、ケインズが体系化した財政・金融政策の公式がスタグフレーションを悪化させる結果となり、政府・中央銀行による経済介入のあり方にも批判が高まった。
 これらの問題が一挙に現実政治の世界に突きつけられたために、対応は一刀両断、わかりやすい図式的なものにならざるをえなかったと言えるのではないか。
 それが、「小さな政府の復権」論であった。

 それから三十年を経て、これらの諸要因の絡まり具合はある程度、解きほぐせるようになってきた。それは、第一の高齢化社会の到来による老齢年金、医療保険の負担が増大してきたという問題と、第二以下の経済的な諸問題とは、性質がまったく異なるのではないかということである。かなりの程度において無効性が実証されたといえるのは、第二以下の経済的な諸問題に対する「大きな政府」の発想にもとづく経済介入の仕方であり、官僚制国家・行政国家のあり方だったといえるであろう。この側面では、100%ではないまでも、「小さな政府」論の優勢は間違いのないところである。

 ところが、現在に至るまで、国家財政をめぐる最大の費目は社会保障関連支出である。そして、そのなかで重要な費目が老齢年金、医療保険にほかならない。
 しかしながら、老齢年金、医療保険などは、人口構造が高齢化することによって必然的に増大せざるをえないものなのである。これは、ある社会において、老人の通常の衣食住をまかなったり、介護をしたり、医療をおこなったりするための費用が、高齢化によって増大するという問題である。したがって、それ自体としてみれば、「大きな政府」か「小さな政府」かという問題では、まったくないのである。

 もちろん、現実問題としては、年金制度、保険制度は政府が組織し運営しているのだから、それらは無関係ではない。しかし、事の本質として、それは「政府」の大小の問題ではなく、ある社会が老人の世話をするのに要する費用の大小の問題なのである。

 したがって、第二以下の経済的な諸問題については、「小さな政府」のほうが効率的であるということが実証されたのだとしても、それをそのまま第一の老齢年金、医療保険にあてはめることはできないということである。

 §3
 もっとも、老人世代が生活してゆくために、本人が若いうちに働いて貯蓄したものでまかなう、あるいは自分の子供の世代に養ってもらうのが筋だ、ということもあるであろう。自助自立の精神からすればそういうことになる。
 しかし、いうまでもなく、現実には、若いうちから貧富の差があって貯蓄にも差があるし、皆が皆、子供に養ってもらえる境遇におかれるわけではない。さらに、厄介なことに人間というものは個々人としては寿命がいっこうにわからない存在である。長寿なるがゆえに貯蓄が足りなくなるということも起こりうる。
 したがって、社会全体として老人世代の面倒をみるということはどうしても必要となる。

 ここで、「社会全体として」というとき、具体的な段階では、誰がどのように負担するのかが問題となってくる。自分の稼ぎに応じて積み立てておいた分だけを取り崩すという仕組みにすれば、それはそれですっきりはする。しかし、そうなると、現実問題として、とてもやっていけない老人人口が大勢出てくることにならざるをえない。
 そこで、社会(民主)主義的な平等派ならば、累進課税の発想で、高所得層からたくさん取って低所得層に分配すればよいと考えるところである。しかし、年金問題は、党派性にかかわらず、誰でも年を取るという普遍性の原理で制度化を進めたために、所得再分配の論理はあまり前面に出てこなかったようである。
 そのかわりに使われたのが、人口増加と経済成長の右肩上がりを前提とした、若年世代の負担によって老人世代を支えるというアクロバット的な年金制度のしくみであった。

 これは、人口増加と経済成長の右肩上がりが続いている間は、政治的争点を先送りできる方法であったため、20世紀の前半・中葉ころの福祉国家の生成時に、ともかく制度を発足させるためにとられた妥協であった。
 ところが、いずれはその手品は通用しなくなることは明らかであった。それが「高齢化社会の到来」として鳴らされ続けてきた警鐘であった。
 それは、従来の制度をそのまま存続させていけば、やがて将来における現役世代の負担が著しく大きなものとなってしまい、世代間対立が発生するという懸念であった。

 では、従来とちがうやり方にはどういうものがあるのか。専門家の議論では、技術的な制度用語に振り回されていっこうに森がみえてこない。ここでは、シンプルに森だけをみて考えてみよう。
 従来とちがうやり方といっても、選択肢は限られている。
 第一は、何もしないという道である。すなわち、「小さな政府」原理を徹底して、老人は若いうちに自ら積み立てた貯蓄と私的年金だけで暮らすべきだという考え方である。アメリカの確定拠出型年金とか401kとかいわれているものは、基本的にこのような考え方にもとづいている。
 第二は、もともと貯蓄がなかったか、あるいは長生きして貯蓄が尽きてしまった老人も、社会全体として支えていくために、現役・引退をとわず富裕層から相対的に多く負担してもらうという所得再分配の考え方である。これは、社会(民主)主義的な発想である。その限りにおいて、「大きな政府」の要素がある。しかし、これは、経済的な分野における効率性とはまったく別の問題である。生活維持が困難になった老人をどのように養うかという問題である。
 このような問題についてまで、「小さな政府」原理を徹底することが、社会の安定性にとってマイナスであり、ひいては経済的な効率性にまで絶大な悪影響をもたらすであろうことは、アメリカの市場原理主義的なエリート層もうすうす気づき始めているのではないだろうか。

 §4
 老齢年金、医療保険についていえることは、ある程度まで教育・研究、公的扶助(生活保護)についてもいえることである。高齢者が労働人口から引退したのに対して、教育の対象となるのはこれから労働人口に参入しようという世代であり、また公的扶助(生活保護)の対象となるのは、本人の意志ではなく労働人口に参入できない人々だからである。

 したがって、これらの経費は、社会の人口構造に規定されることであって、官僚制国家・行政国家の「大きな政府」とは、本質的には関係のないことなのである。

 高齢化に伴って老齢年金、医療保険などは増大せざるをえないし、また、おそらくそれと関連して、生活維持が困難となった老人に対する生活保護支給も増大せざるをえないであろう。
 しかし、教育・研究に関連する人口割合はむしろ減少傾向にあるので、むしろ、現状維持にしておけば1人あたりに対する手当は厚くなってゆくであろう。

 ただし、これは日本以外の諸国についていっているのであって、日本では、そもそも欧米諸国の半分の割合(国民所得に対する比率)でしか教育・研究への財政支出はおこなわれていないのに、さらに削減を強行しようとし続けている。自分たちの天下り特権の死守には命がけの癖に、このような異常に非合理的な政策に固執している現今の財務官僚は30年前に比べて偏差値水準も歴然と低下しているが、人格的に異常な亡国の徒の集団以外のなにものでもなくなっているかのようである。

 30年前と比べて低偏差値・異常人格化した財務官僚集団にジャックされている悲惨な日本国はのぞいて考えると、先進諸国では、教育・研究は国民所得の4~5%水準の財政負担で据え置いておけばよく、あとは、人口構造の変化に伴って老齢年金、医療保険、一部高齢者向け生活保護費などの負担増加を甘受するか否かが選択肢だということになる。

 この負担の増加は、決して「大きな政府」を意味するものと考えるべきではない。また、部分的には社会(民主)主義的な所得再分配であり、部分的には「大きな政府」であるととらえたとしても、それは、社会的な安定性を基盤とする経済的な効率性にとってプラスとなりこそすれマイナスとなるものではない。

 つまり、福祉国家とか「大きな政府」ということが問題なのではない。そうではなく、人口構造の変化に伴う費用負担の増大を甘受するかどうかが問題なのである。教育・研究は(日本を除く先進諸国では)横ばいを維持し、老齢年金、医療保険、一部高齢者向け生活保護費などの負担増加を甘受せざるをえないということが、国民的コンセンサスを得られればよいのである。
 そのことと、経済的な諸分野における「小さな政府」、規制緩和、自由化、民営化のほうが効率性がよいということは、全然別の問題として議論していくことが、これからの水準としては重要なのである。
 もちろん、より専門的、政策技術論的なレベルでは、経済的諸分野においても、どの程度の自由化、規制緩和が有効なのかといったことは、つねに実証的に議論され続けるであろう。

 §5
 しかし、日本においては、第一に、教育・研究への財政支出が先進諸国の半分程度しかないので、これを倍増しなければならないという問題がある。
 それに加えて、老齢年金、医療保険、一部高齢者向け生活保護費などの負担増加を甘受せざるをえないということに国民的コンセンサスを形成してゆくということは、大変困難なことである。
 しかも、日本には、依然として、官僚制国家・行政国家が大きな壁として横たわっている。戦後、培われてきた土建国家-特殊法人の利権構造はどのような弊害をもたらしてきたか。
 それは、本来ならば増額せねばならない教育・研究、老齢年金、医療保険、一部高齢者向け生活保護費などの諸費目も、削減しなければならない土建関連予算も防衛予算も、一律に、ゼロ・シーリング、マイナス・シーリングという取扱いをしてきたことに、端的に顕されている。

 このようにして、日本社会は継続的に打撃を与えられ、着々と蝕まれ続けてきた。日本国総乳母捨て山状況の現出は、小泉・竹中時代に一朝一夕に準備されたことではなかったのである。むしろ、小泉元首相は、靖国問題、中国・韓国・北朝鮮問題、日米安保問題もそうであったが、潜伏していた病弊を悪化させて表面化させ、人々に問題意識を持たせたという歴史的意義を有していたとさえいうべきなのである。

 つまり、ゼロ・シーリング、マイナス・シーリングという発想自体が、ムダを省き必要なところに回すという、当たり前のことを峻拒してきた旧大蔵省を頂点とする日本官僚制を象徴するものなのである。
 したがって、ゼロ・シーリング、マイナス・シーリングという「制度化したもの」を転換することは、ほとんど政治革命(=憲法制定革命)に類することを要することなのである。

 このようにして、日本では、①土建国家-特殊法人-天下り官僚制の利権構造を徹底的に暴き出し、天下り官僚層に年々食い潰されている十数兆円規模の「埋蔵金」を吐き出させ、それを必要なところに財源として振り向けること、②必要なところとは教育・研究、老齢年金、医療保険、一部高齢者向け生活保護費などの諸費目であること、③それら必要な諸費目のためには社会全体として負担増をする覚悟がいること(=消費税増税の不可避性)、④それだけでなく、富裕層に相対的に厚く負担してもらうこと(=累進税率の維持・向上)、という四点の方向性が国民的コンセンサスとして醸成されなければならない。

 21世紀の世界は中国、インドなどの経済的台頭によって、グローバルな競争は厳しくなり、旧先進諸国の一般大衆の生活も従来よりは厳しく世知辛いものとなってゆかざるをえない。だからこそ、旧先進諸国は、社会保障制度のあり方について、単純な「大きな政府」か「小さな政府」かといった図式的思考を脱しなければならないであろう。そして、個別日本は、固有の難問に取り組んでいかなければならないのである。そうしなければ、個別日本資本主義の急速的没落過程は、予想より早く目の当たりにされることになってしまうであろう。
 

私説公開

 投稿者:石垣眞人  投稿日:2008年 7月31日(木)16時29分1秒
  「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。

http://makoto-ishigaki.spaces.live.com

 

「敗軍の将兵を語らず」をめぐる大誤解

 投稿者:高望み  投稿日:2008年 7月12日(土)02時20分9秒
編集済
   「敗軍の将兵を語らず」という格言がある。日本では、「戦争に負けた将軍は、武勇や兵法について語る資格がない」ということから、「失敗した者は、潔く自分の非を認め、あれこれ弁解がましいことを言うべきでない」という意味に用いられる。つまり、敗軍の責任者がなぜ負けたのかについて徹底的に洗いざらい反省するのは「潔くなくて美しくない」ということだとされている。

 例によってこれはトンデモない勘違いである。「杞憂」にしてもそうなのだが、中国から伝来した故事成語には根本的な勘違いがなされているものが少なくないようだ。ちなみに、「杞憂」とは、天が崩落してくるはずがないのに心配するのは神経症だ、という意味で理解されているが、元々の話しは、天もいつかは崩落してくるかもしれないが、必ず崩落するかどうかは人知の及ぶところではない。そんなことを気に病んでもはじまらない、という意味なのである。これは、エピクロス流の、生きている者に死はわからない、死んだ者には死は分からない、したがって、死について思い患うのは愚者であるという哲理と同じことを説いたものである。

 「敗軍の将兵を語らず」というのも、元々は、「史記」准陰侯伝にある、「敗軍之将、不可以語勇」(はいぐんのしょう、もってゆうをかたるべからず)であるが、それがどういう文脈で使われているかを知るとびっくりする。

准陰侯つまり韓信が背水の陣で打ち破った趙国に広武君という将がいた。広武君は趙王ら指導部に適確な作戦を献策していたのだが、それは採用されることがなかった。韓信は、もし広武君の献策が採用されていたなら、自軍には到底勝ち目がなかったと考え、捕虜となっていた広武君に師事することを申し出、これから燕、斉を攻略するための戦略について教えを乞うた。その時の返答が、この言葉なのである。

 広武君は最初のうちは「敗軍之将、不可以語勇」などといって謙遜していたが、いろいろと説得されて結局、韓信に燕、斉を攻略するための戦略をアドバイスすることとなり、それによって韓信は見事な大勝利を収めることになったのである。

 「敗軍の将兵を語らず」とは、そもそもこのような文脈で出てくる故事成語である。つまり、それは献策が入れられなかった名将が謙遜でいった言葉であり、しかも謙遜にもかかわらず、結局は戦略を教え、その戦略によって大成功を収めるという話である。

 日本では、どこでどのようにして、敗戦責任を問われた敗軍の将が、敗戦の原因や責任について明らかにするためにペラペラと喋るものではない、などという奇妙奇天烈な解釈が成立したのかについては、今のところ調査続行中である。

格言、故事成語というものは民族性がおのずと慣習的解釈を確定してしまう。「失敗の本質」を解明して反省することをせずに、かえって失敗を隠蔽し、墓場までもっていくことが美徳だ、という具合に、日本では変質してしまうのである。旧日本軍の「失敗の本質」も、現日本官庁の「失敗の本質」も、すべてそこに胚胎していることはいうまでもない。

 さて、その日本的な美徳の遺伝子を余すところなく伝えているのが、安保ブントの指導部の面々であった。しかし、半世紀を経てようやくにして、徐々に事実関係を語り残しておこうという気運が出てきたようであるのは、慶ぶべきことである。

 過日、都内某所で行われた青木昌彦出版祝賀会に、蔵田計成さんのご厚意により参加させていただいた。そこでの青木氏の発言と、若干の感想を記しておく。

-----------------------------------------------
一次会については、一般的な挨拶という印象だった。
 一点、あまりうまく趣旨がくみ取れなかったのだが、次のようなことを言われていたように思う。
 ・京大の大嶽秀夫氏(政治学者)が新左翼について本を出したが、その中で、60年安保はポストモダンの走りだということが書いてあって、自分にはなんのことかわからなかった。考えてみると、半世紀を経て、若い人々には60年安保というのは歴史としてしか知ることができなくなっている。自分なりに歴史的意味を考えてみたいと思うようになったので、こういう本を書くこととなった。

二次会
 ・今日の集まりは、ブントというより60年安保の同窓会だということだと思う。
 ・予想通り自分の出版祝賀会は同窓会のダシに使われたようだが、楽しかった。
 ・学生運動経験のない妻には、出がけに喧嘩などしないようにといわれたが、会場が警察の共済関係のホテルなので大丈夫だといって出てきた(笑)。
 ・一次会にいた岩田昌征さんと話したが、当時は立場の違った彼ともよく討論をしたものだ。60年安保というのは、クラス討論から積み上げていく民主主義の実践そのものだったと思う。
 ・野村證券の大田淵氏も日経新聞「私の履歴書」に書いていたが、60年安保で岸内閣を退陣させたということは、やはり戦後政治を民主化するうえで大きな転換点であった。その意味で、ブントは安保闘争を敗北と総括するのが公式見解だったが、自分としては、当時から半分ぐらいは勝利と言っていいのではないかと考えていた。現在、改めて安保闘争の歴史的意味を考え直す必要があるのではないか。
 ・島成郎『ブント私史』には事実誤認があるので、自著で指摘しておいた。島氏は、東大派や後の革通派が終始、急進行動に批判的だったのに、ブントの総括大会で突然、急進主義的なことを言い出して執行部批判をはじめたので怒ったといっているが事実は違う。4.26の衝撃以降、むしろ急進的に頑張ったのは東大派や後の革通派だった。

以上。

 (感想)全国社研・林紘義氏http://www.mcg-j.org/japan/petrel/text/W_1071.html#8によると、とくに6.15~6.19の局面では、青木氏はむしろ抑え側に回っていたとあり、また、青木氏の著書においては、そもそも三月の島「ブントは死して」演説以降の急進路線に気が乗らなかったとある。また、三上治氏も、よく、「自分らは6.15~6.19の局面を経験していたので、赤軍派に対しては醒めていた」という言い方をするが、その具体的な事実関係はさっぱりわからない。
 実のところ、樺美智子さんが亡くなる6.15の国会突入闘争から、生田浩二氏が「ブントもダメだったか、このエネルギーが、このエネルギーが……」と呻いたと伝えられる6.19の期間というのは、少なくとも、大衆運動がどのように盛り上がり、ブント指導部がどのように分解していったのかという点に関して、とくに後者に関して、「書かれた歴史」としてはほとんど空白なのではないだろうか。
 少なくとも、姫岡国独資論を掲げていた青木氏が運動のセーブ役を買って出ていた局面が確かにあり、それに対して、東大派や後の革通派が星野中・国独資論に依拠して急進主義的方針を対置し執行部批判を行ったという背景が、はじめて第三者的に可視的になってきたのではないだろうか。
 

外面性の哲学

 投稿者:高望み  投稿日:2008年 6月26日(木)02時03分12秒
編集済
  経済学・哲学掲示板はまったく書き込みもなく、こちらの掲示板とのマルチポストだけになっているので一時休止することにしました。この掲示板も03年から05年までは「過渡期掲示板」、05年から「情況随感 掲示板」としてきましたが、近いうちにまた名称も含めてブログなどいう形態に移行したほうが便利かなど、運営について再考しようと思います。

臨夏さん
>>秀頼君は、終に関白になったんでしょうか?

Wikipediaによると、官位は従三位左近衛権中将、従二位権中納言、権大納言、正二位、内大臣、右大臣だそうですから関白にはなっていないようですね。厳密には「豊臣」姓も継承せず羽柴姓だったともありますね。

 秀次はたしかに関白は継いだけど秀吉生前に抹殺されてしまいましたね。代数の数え方は恣意的なものでしょう。天皇の代数だって神功皇后、弘文天皇、崇道天皇、南朝の数え方で結構流動的だったようですしね。

>>香花さん

応報感情を「克服」することは宗教的な倫理を個人の内面に要求することになりますね。自己倫理としてそれを課することはよいが、国法レベルでそのようなことをしたほうがよいのかどうか。近代国家の水準から逆戻りすることになりはしないか。

アングロサクソン的な近代国家の論理からは、「万人の万人に対する狼」から逃れるためにリヴァイアサンをつくりだすにしても、リヴァイアサンに殺人権を委ねる危険性よりも、外面的に応報感情を「抑制」するほうを選ぶしかない諦念に至る、ということしか出てこないと思います。

そして、このようなアングロサクソン的な「近代」は乗り越え不可能な哲学を有していると思うのです。
 

追伸

 投稿者:香花  投稿日:2008年 6月25日(水)01時06分23秒
  いま手元にないのですが、『週刊現代』の前号と今号に載っている
秋葉原犯人の弟の手記(口述?)が、わりとよいと思いました。
どんなにひどい育てられ方をしても、親に恨みをぶつけるために
あんなことしたと思っているとしても、親に責任を押しつけることは
できない。というようなことが最後のほうで書いてあって、ここまで
はだいたい理解できます。
 

レンタル掲示板
/24