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荒岱介氏の訃報に接して

 投稿者:高望み  投稿日:2011年 5月 5日(木)02時50分1秒
  --- "情況出版" ---
><お知らせ>  転送してください。
>荒岱介さんが、かねてより前立腺癌治療中のところ、
>5月3日20時15分逝去いたしました。
>ここに生前の友情・交流に感謝し謹んでご通知申し上げます。
>なお、葬儀は下記の通り執り行います。
>
><日時>
>お通夜・お別れ会
>  ・5月8日(日)午後6時から
>告別式
>  ・5月9日(月)午前11時から
>
><場所>:延命寺(来迎殿)
>    JR浦和駅・東口より徒歩8分(仲本小学校東側)
>    さいたま市本太1-42-2
>    TEL 048-882-6341
>
>喪主は伴侶、荒久江さん。
>
>*花輪希望の方
>   博善社(048-882-2467)
--- "情況出版" ---


情況出版御中

ご連絡ありがとうございます。
荒岱介さんとは生前何度か会った程度ですが、やはり印象深い方でしたので急な訃報に驚くとともに幾許かの喪失感を禁じ得ません。

たしか荒さんは叔父の荒正人とともに相馬市のご出身だったと思いますが、津波被害で大変なことになった最中のことであり心残りのこともあったのではないでしょうか。

私も相馬市の南隣の現・南相馬市やさらにその南にある双葉町が両親の出身地で、福島第一原発から北西に3キロほどのところに父方の先祖の墓があるもので、何か理屈にならない脱力感に覆われている日々です。

ちなみに、双葉町と相馬市との間には旧・小高町というところがあり、ここは島尾敏雄、埴谷雄高のゆかりの地で、近年、埴谷島尾記念文学資料館というのも出来ていたのですが、原発の避難地域となって立ち入ることも出来ない地となってしまいました。

何はともあれ、今は荒さんのご冥福をお祈りさせていただきます。
 
 

危機に際しての能力

 投稿者:香花  投稿日:2011年 4月23日(土)23時41分30秒
  今回の原発事故について、「だから原発を全廃しろ」というのは行きすぎかもしれませんが、こんなことがまた起きないようにするためにも、技術面だけでなく、制度についても大きく見直すべきでしょう。
東京電力と原子力安全・保安院には様々な局面で決定権があるのですから、責任があります。権力があるところには、その権力に応じた責任があります。
原子力工学の専門家であろうがなかろうが決定権(特に最終決定権)のある者には、自分で決めたことにしろ、誰かの案を承認したにしろ、その決定の結果起こったことについて責任があります。

水俣病裁判の判決と同じで(というよりもっと明白に)予見の可能性はあります。危害を未然に防止すべき高度の注意義務を有するはずです。
現在の責任者はもとより歴代の責任者を裁判にかけて、全てを明らかにするべきです。
原子力安全委員会も無能なので全員クビにするべきですが、諮問委員会には決定権がないのだとしたら、保安院ほど重い責任はない気がします。

次の記事にはわりあい共感しました。

前屋毅『あまりにも日本的な東電社長の「ふがいなさ」』
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5898

少なからず業界誌的なサイトでここまで厳しく踏み込んだ論評は異例だと思います。
危機に弱い。「想定外」のことが起こればパニックになってどうしてよいかわからなくなる。というのは特に日本人だけの特徴でもないでしょうが、多少は言い過ぎかもしれませんがそういう人がむしろリーダーになってしまう傾向があるのが日本の特徴のようです。
大企業の経営者が危機に弱ければリーダーが何のためにいるのかわからず、下の者も困るし、社会的にも迷惑なはずです。

「 失敗した時には他人に責任をなすりつけ、成功した時には我が手柄のように
 表にしゃしゃり出る。これこそが、「上がり」を手に入れる最大のポイントでもある。
 ・・・
  だから、日本企業ではチャレンジがしにくい。チャレンジには失敗がつきもので、
 「上がり」となるためには不利になるからだ。新しいことにチャレンジしないことが
 「上がり」に近づく条件でもあるのだ。

  そうして「上がり」になったのだから、リーダーシップを求められても困るだろう。
 リーダーシップはリスクを背負い込むことだからだ。リスクを背負い込むことは日本
 的「上がり」の法則からいえば逆のことでしかない。」

こういう記述は、いままで会社員をやっていた私の実感にわりと合うのです。「官製不況」というのもこの因習の所産かもしれません。
まさに「失敗しないことが「上がり」に近づく道、という日本的な仕組みを意識的に変えないことには、日本の企業は危機に弱いままで終わってしまうだろう。」と私も思います。
今回の事態は、その弱点をもっと悪化させるか克服していくかの分岐となるでしょう。
 

悪夢がすでに現実となっている

 投稿者:高望み  投稿日:2011年 4月14日(木)02時58分28秒
編集済
   原発については真剣に考えてはこなかったのですが、原理的、認識論的次元とは別に、経済学的には核廃棄物の処理のコストが高くつきすぎるという議論は知っていて、地熱発電を軸に多種多様な発電方法、送電方法、省エネ技術を総動員して脱原発を進めた方がいいとは思ってきました。

 しかし日本では、2000年代に入ってから、すべてが世界の潮流から取り残されるか逆行するかで、90年代までは先端を行っていたはずのそれらの技術開発も停滞し、すっかり後れを取っているようです。今の日本社会を覆っているのは、頭のてっぺんから爪の先まで、「無知が栄えた試しはない」という言葉だけではないですか。

 今回、再認識しつつありますが、活断層の真上にあるいくつかの原発、震源地の近くになりうる日本のすべての原発の危険性は、まさに大東亜戦争に突き進んだ「無責任の体系」そのものですね。千年に一度と高をくくりつつたった四十年で事は起こってしまうほどのいい加減さで(実際には百年に何度も起こっている高さの大津波だったわけで)、今後どういう事態になるか考えようとしても恐ろしさの余り思考停止になってしまいます。アメリカによる戦後改革が風化し形状記憶合金のように甦った「無責任の体系」によって日本列島が破滅に追いやられるのみならず、近隣諸国もふたたび惨禍をもたらされかねないというわけです。

 日本は「失われた二十年」でずるずると低迷してきて、この先、確実に衰退していくことは分かっていたのですが、今回の大災害によって一挙にそれが進展しました。もう世紀単位で日本の政治と経済が立ち直る望みはないでしょう。中国がアヘン戦争以降、ど壷にはまってからそれを抜け出すのに150年かかったことを思えば、国レベル、文明史レベルの時間の流れ方としてはそんなものです。(こんな時にこそ、かえって爛熟した文化が花開くこともありますが、レンタル屋にいっても映画コーナーもポップスのコーナーも国産ものは死に絶えています。)

 この国の支配階級は昭和末年頃から、藤原時代、足利時代のような国家の私物化という宿痾へと回帰してしまっています。(反足利系を標榜した徳川時代はけちくさくて陰湿で窮屈な暗黒面はあるにしても、国民的教育水準を向上させ勤勉実直な国民性を涵養したという点では、前近代社会としては世界史的に驚くべき時代でもありました。正負両面あった滅私奉公の精神は徳川家の窮屈な家風が300年かけて末端庶民にまで「抑圧の下方移譲」込みで浸潤していったものでした。)

 反実仮想として、もしこの国に有効に機能する政治構造があるのならば、東北地方に首都機能の一部を移転させて仙台市、札幌市クラスの巨大都市をもう一つ造るとともに、そこにどんな大津波にもさらされないように、被災者、原発避難者たちの職業と住居を構築すべきなのです(オーストラリアやブラジルはキャンベラ、ブラジリアをつくれました)。それは、時限的な法人税ゼロ、規制緩和特区の楽市楽座として最新の産業をいっきょに日本列島に立ち上げる絶好の機会ともなるし、たんに東北だけでなく列島全体にとって経済的に活気づくものとなるでしょう。財源は、これなら遠い将来における返済が見込めるので建設国債でも構わないわけです。返す当てのない財政赤字の問題にはなりません。
 しかし、関東大震災の後にも後藤新平の帝都復興計画が実現しなかったといわれているように、何も夢のあることは実現できないのがこの国の政治的現実でしょう。
 

これからどこに行くのか

 投稿者:香花  投稿日:2011年 4月 7日(木)16時55分4秒
  レス、ありがとうございます。
高望みさんが元気なので安心しました。

まだ何年かアフリカの田舎町で過ごす予定で、基本的に日本のニュースはネットで読めますが、テレビなどは見れないので微妙なところがなかなかわかりません。
政治家も国民もいままでは何をやってよいかわからなくて、小沢一郎の「金権」問題のようなどうでもよいことばかりが新聞紙面を占めていましたが、これからはそうはいかなくなるのではないでしょうか。

> いい方にですか? 悪い方にですか?

正直なところ、どちらの可能性もあると思えます。

悪い方を先に書けば、失われた十年が二十年になり三十年になり、少し極端に書けば、昔マッカーサーが言ったように日本が「四等国」になってしまう可能性です。
チェルノブイリ原発事故がソ連の崩壊を促したように、福島原発事故が日本を崩壊に導いてしまうという想像も成り立ちます。それを更に細かく分ければ、国家が崩壊しても日本人や日本住民の運命は別だという見方から、大友克洋の漫画のような荒廃した風景までいくつかのバリエーションが想像されてしまいます。

よい方を考えるならば、偉い人や優秀な人が考えて造った原発がこんなでは、人々が政治家や官僚、専門家に様々なことを任せることができなくなり、政治やその他の面で一般大衆が積極的に参加せざるをえなくなり、急速にポリシーや政治構想力が形成されていくという可能性です。
また、この際、単なる「復興」ではなく、国土や都市を造り替えてしまえという大きな契機になるかもしれません。

> 私自身はこのような危機が勃発しても認識論的な揺らぎや驚きは感じませんでした。

私はかなり動揺しています。まだ完全な反原発主義者になってはいませんが、仮に技術的・論理的にOKでも人々を不安に陥れるようなものを造るのはほとんど不可能だという方向に考えが傾いてしまいます。

> 世の中は筋の通らないことばかりではないのだということが、そんなところで実感できるからです。

ネット環境がわるくて(遅くて)youtube等の動画はほとんど見れませんが、仰ることはよくわかる気がします。
 

>時代の強制的な変化

 投稿者:高望み  投稿日:2011年 4月 5日(火)01時57分58秒
  ご無沙汰しています。
政権交代したら、別段、政局や政策にネガティブな感想を述べたてるほどの異常な状況ではなくなると思っていたら、政権交代すればするほど劣化していくこの国のかたちに絶句して愚~の音も出ないできました。

震災の影響はありましたが、幸い身体的被害は特にありません。ただ、福島浜通りから仙台にかけては親戚が多く、また福島第一原発は墳墓の地から2~3キロで、一部の親戚は避難に追いこまれています。

原発の問題については、

>原理的な次元と科学技術の現存性を混同するのは間違いなので吉本さんの論旨は理解できますが

といわれている通りで、私自身はこのような危機が勃発しても認識論的な揺らぎや驚きは感じませんでした。吉本さんと同様に原発容認派の日本共産党も、いままで東京電力に対して福島原発の危険性を国会の場で追及してきたそうですし、それは当然、日共の独創性ではなく、少なからぬ識者によって指摘され続けてきたことだそうですから、問題は科学そのもの技術工学そのものの領域というより、東京電力や自民党政権下の日本政府の「失敗体質」、民主党管政権下の日本政府のお話にならない無策無能ぶりという社会科学的な領域にあるとしか思えません。

 >日本はこれから急に変わると思います。

いい方にですか? 悪い方にですか? 私にはいま同じ邦に棲む人々が何を考えていないのかさっぱり見えなくなっています。初期設定としては言論の府として導入されたはずの機関でも、学長が例年通り新学期を開始するといったら、被災地域では他に例がなくても例年通りに新学期を開始するといった組織に対する過剰な順応主義が薄気味が悪くて仕様がないのです。それが特にヒドいのは茨城大学という所だけだとしても、何か日本社会全体を象徴しているように思えてなりません。

それでも自分一人が正気でいるかのような精神錯乱に今のところ陥らずにすんでいるのは、youtubeという文明の利器でKARAをはじめとする韓国の若くて聡明で品性があり、実力通りに人気のある誠実そのもののK-POPグループに耽溺することができているおかげです。世の中は筋の通らないことばかりではないのだということが、そんなところで実感できるからです。

 ※なお、四月からは所属先が変わり首都圏のほうに異動します。
 

時代の強制的な変化

 投稿者:香花  投稿日:2011年 3月19日(土)18時45分4秒
  ご無沙汰です。

高杉さんがどうしているか、少し心配です。

私は昨年から海外に住んでいて日本の惨事の影響を直接受けないのですが、一時は愕然としてしまいました。
地震と津波の被災者には言うべき言葉も見つかりません。
福島原発は、放射能レベルが下がってきたというので、少し安心しています。

私は原子力発電について、核廃棄物の問題はあるし、小さなトラブルはあるだろうが、こういう重大事故はまず起きないだろうと思っていました。認識を改めないわけにいきませんが、そういう認識は吉本隆明さんに追随していた部分もあり、そういうことも含めて深く考えてしまいます。

ただし吉本さんの次のような発言には当時から疑問もありました。

 「放射性物質の宇宙廃棄(還元)は、原理的にはまったく自在なのだ。」(「反核」異論)

言わんとすることは判りますが、世界でもっとも強硬な原発推進派でも、現段階では「放射性物質の宇宙廃棄」に賛成しないでしょうし、将来も実現するかどうか疑問です。スペースシャトルが134回の飛行のうち2回失敗していることを想起すれば、その理由は容易に理解できると思います。核廃棄物の量を考えても難しいと思います。原理的な次元と科学技術の現存性を混同するのは間違いなので吉本さんの論旨は理解できますが、こういうわざわざ誤解を招くような表現はやめればよいのにとも思いました。

その些細に見えた食い違いが、今回の事態で、大きな課題となってしまいました。
原理的にあるいは科学技術的に解決可能だということと、実際に原発を安全に運転できる組織となっているのか、ということは違うでしょう。

いろんな問題を放置している訳にもいかなくなったし、いろんな問題をえらい人任せにしているわけにもいかなくなりました。日本はこれから急に変わると思います。

また書きます。
 

冬は避けられなくても耐寒準備はできる

 投稿者:高望み  投稿日:2010年11月 6日(土)18時49分20秒
編集済
  民主党政権はどうしようもなく無能でバッシングのしがいもないので、矛先が仙石官房長官にひとりに向かっている感がある。東大学生運動の時代から六十代半ばまで、弱小党派、反体制弁護士、野党を歩み続けてきたキャリアでは、いくら素質が優れていても国家権力の運用をいきなりスムースに行えるはずもないから、格好のバッシング対象となっている。

しかし、どんなにまずいやり方であっても仙石官房長官の言動をいたずらに中国寄りだの弱腰だのと事実無根に煽り立てるのだけは勘弁してほしい。そのようにして、若い世代に対外対立の意識、表象を擦り込み続けることは確実にわかりやすい結果をもたらすことになるからだ。

最近は歴史物ばかり読んでいるが、世の中は人々が思っているのとは反して、人々がまさに思い描いているように動いていくような気がする。ただし、世代的なタイムラグを伴ってである。

世の中は暴力と謀略と闘争で成り立っているというレーニン主義の教説を、別に左翼でなくとも常識通念として擦り込まれた戦後団塊世代が指導年齢に達してから、現実に日本社会はロシアのように転化してしまっている。市民派、構造改革派だったはずの議員が中央権力を掌握するや、戦後保守政治には観られなかったような剥き出しの権力乱用が横行し始めた。あるいは元警察官の警察ジャーナリストがあからさまな偽装自殺をされながら、もはや周囲も口をつぐんで泣き寝入りをするしかないような状況が罷り通るようになっている。まさに、レーニン主義の国家暴力機関説と国際関係=帝国主義論とが通俗化された無意識として擦り込まれた戦後団塊世代によって日本社会のボルシェビキ化が草の根的に進行しているのである。

それに対して、戦前・戦中世代は、実際に大日本帝国が蛮行の限りを尽くすさ中において、日本というのは大義に殉じるすばらしい国なのだと擦り込まれてきた。戦後になって、アメリカによる強制的な制度変革によるお膳立ての上でのことだが、実際に戦後日本は、豊かで平和な国である状態を半世紀ほど実現することとなっていたのだ。

メディアは最大限の知力と想像力と若い世代への責任感をもって、不器用な政府の不器用な事態収拾を日本国民の大人たちが「暖かく見守る」ことを、それこそヒステリックになってでも叫ぶべき秋である。

世界中が冬に向かっているときに、暖房器具をあらかじめ破壊して回る愚をやり続けるのか、否か?
 

無能な上に極右だった管首相

 投稿者:高望み  投稿日:2010年 9月16日(木)23時48分54秒
編集済
  管政権の内閣改造で前原国交大臣を外務大臣に起用。これならあべ・アホウの自民党右派のほうがまだしもエンタテイナーぶりがいいだけましだったわけだ。

「市民派」というものにそもそも関心がなかったから騙されていたのだろうが、管氏は本当に「市民派」だったのか、「市民派」という看板すら虚飾にほかならなかったのではないのかという疑問が湧いてくる。

構造改革派の江田三郎の弟子で、社民連以来の江田五月と故・石井紘基の盟友で、東工大卒ということで吉本隆明と同窓でと、なんとなく思慮深さの上に行動力のある人なのだろうと思っていたのは、まったくこちらの勝手な思い込みにすぎなかった。民主党結成時に担ぎ出し、首相の座をあっさりと禅譲までした鳩山由紀夫氏自体が、心底、あきれ返り怒り心頭におそらく達し、時期尚早にも小沢一郎氏に出馬要請をしてしまったほどに、管氏の無節操ぶりは確固たる無思想性に基礎づけられているといわなければならない。

メディア時代の今日、これほどまでにイメージと実像のギャップの激しい政治家というのも珍しいともいえるが、それは、小沢一郎氏においてもいえることである。今回の民主党代表戦で、小沢氏がこんなにも経済政策にあかるく、理路整然と見解を説明できる人物だったとは、彼が前面に出てから二十年、日本中がはじめて知ったことであった。

どこをどう考えても、管政権が何かをうまくやれる要素はまったく見当たらないので、アホウ政権のようにずるずると政権にしがみつく醜態をさらす様しか想像のしようがない。小沢氏はそれを待って、おもむろに垓下の一戦に臨む所存なのであろうが、この二十年間、側近が離反し続け、政権を取って改革を断行するに至れなかった小沢氏が、はたしていざ政権を取ったからといって宿願を成就できるものかどうかは心許ないといわざるを得ない。

で、現役学生世代の位置からは「日本はもう死んでいる」状態を目の当たりにしつつ、このどうにもやり場のない不安感と怒りを、とりあえず管首相の無能さと無節操・無思想にぶつけておくことにする。
 

蒸し暑く重苦しい選挙結果

 投稿者:高望み  投稿日:2010年 7月15日(木)02時15分49秒
編集済
  今回の参議院選挙は、民主党政権への失望感の大きさによるものだった。
投票者は、2005年の小泉カイカク詐欺選挙でも09年の民主党政権交代選挙でも、そして今回のみんなの党だけが勝った参院選でも、一貫して公務員制度改革を支持してきたのであり、いささかもブレてはいないといえる。

それにしても、宇宙人の鳩山氏が期待に応えきれなかったのは、やっぱりなという感じだとしても、まさか市民運動からのし上がってきた菅直人氏がこんなていたらくだとは意外だった。
一時的な支持率の高さに調子づいて消費税に言及したこと、その言及の仕方、それ自体も政治的センスのなさといえばいえるが、それよりも調子にのりやすいという短所が露呈してしまったものであろう。なにしろ、普天間問題で五月末にいよいよ鳩山前首相が進退窮まって、主要閣僚を引き連れてお詫びの記者会見を開いたときに、一人、やに下がったにこにこ顔を隠せなかった御仁である。その時、ニュースでその顔を見て、どんな火中の栗でも総理の椅子に座る順番が回ってくることに、そんなに喜びを隠せないものかと思ったものだ。
日本人の国民性として、芸能人でも何でも、天狗になりやすいタイプのハシゴをはずすのが顕著な特性としてあるように思われる。

さらにまた、その後、一貫して発言が曖昧で、本人はぶれてないつもりなのかもしれないが、ぶれているか、そもそも問題の核心がわかっていないようにしか思えない発言の連続であった。
消費税を上げて強い社会保障を、というその口で、日本もギリシア財政危機のようになってはならないというのだから、すぐさま、一体どっちが目的なんだとツッコミが入る。また、消費税を増税しても法人税の減税分と相殺になるだけだと共産党からこれもまた適確なツッコミを入れられる。こうした、一般視聴者が聞いていても、成る程もっともだと思えるツッコミに対して、まったくちゃんと答えられず、そもそも質問の意味が分かってないんじゃないのかと視聴者に思わせてしまうような受け答えに終始していたと言える。
「イラ菅」というあだ名は、むしろ、聴衆をいらつかせるという意味ではないのかと思わざるを得ないような姿しか見えてこない。

1996年に、厚生大臣として薬害エイズ問題の解明に活躍した過去の栄光にみちた精悍な姿は、どこにもみることができない。ひょっとして四国のお遍路中に影武者とすりかえられてしまったのかとさえ思われるほどの、別人としか思えない無能な人物に成り果ててしまっている。多くの有権者の眼にも、おそらく同じように映ったのではないだろうか。

とはいえ今回の選挙結果によって、政策意志決定過程は凍結してしまったと思われるから、日本の経済、財政の破綻は確実なものとなった。この期に及んで政党再編に期待する向きもあるようだが、政党再編など、この国の有権者=代議士複合体にできるわけがないことは、十二分に経験されてきたことだ。

この二十年間、なんらかの「改革」によってソフトランディングする可能性を食い潰してきた日本社会は、今回の選挙結果でついにその可能性をつないでいた最後の糸もブチっと切れてしまった。

政策漂流によって日本もギリシアのようになると言ってピンとこなければ、日本全体が夕張市のようになる。つまり公立の病院、学校、水道、道路が支障だらけとなり、自殺率、犯罪率、うつ病率がはねあがる。もちろんそれだけであり、べつにそれ以上のことが起こるわけではない。

いま、日本の「国際競争力」は二十数位だが、十年後には五~六十位にまで落ちているであろう。そしてそのまま落ち続けることになるであろう。それだけのことであり、ほかには何もあるわけではない。革命もなければ終末もあるわけではない。

いずれにせよ、次の局面への転回などということは、十年や二十年や三十年で起こるものではない。ちょうどいい機会であり、雌伏すればよいのだ、低く低く思いっきり低く雌伏すれば、左派が蘇生し日本が、蘇生した左派の知性によって復権する時も、きっといつかは来るであろう。

個人的には、高一の時に大ファンだった庄野真代氏が民主党から、高三の時にプチ・ファンだった三原じゅん子氏(生家が近所だったこともあり)が自民党から立候補したことは、三十余年前の憧れの人同士の脳内バトルとなって奇妙な感じがしたが、庄野氏があえなく落選したことは残念だった。
今回、タレント候補は、ヤワラちゃんの谷亮子氏と三原氏の二人ぐらいしか当選しなかったということだが、もはや洒落で投票する余裕もないほどに日本社会の生活経済は追い込まれてきているということであろう。しかし、まだまだ、転落はこれから始まるのだから、正直いって、蒸し暑く重苦しい梅雨が永続するかのような気分だ。
 

元・極左たちによる中道右派政権の誕生

 投稿者:高望み  投稿日:2010年 6月 9日(水)07時31分57秒
編集済
  ドタバタの宇宙人芝居の挙げ句、規定方針のように鳩山由紀夫前総理は菅直人副総理に禅譲した。鳩山内閣発足時から菅氏を副総理としていたので、必ずこうするとみていた。

元宝塚女優の夫人の演技指導がよすぎたのか、鳩山氏の馬鹿の振りは徹底しすぎていて、本当にこいつはルーピー(頭がくるくるループ)なのかなと思わせられる場面も多々あったが、実際の所は、昨年秋の時点で普天間問題の袋小路を明晰に見切ってしまい、いわゆる選挙対策として七月の参院選直前に菅総理への禅譲を決意し、暗礁必至の「五月末決着」を公約したものと推測される。

なにしろ、民主党という政党は、かつて薬害エイズで問題で名を挙げた菅直人を担ごうとして、鳩山氏が菅氏を口説いて立ち上げた政党であり、首相就任当初から政治状況の成り行き如何では、こういう形で初発の意志を貫徹することも織り込み済みであったと考えられる。

結果として、菅直人、仙石由人、枝野幸男のスリートップ体制という、現在の政界では最高の布陣が実現してしまった。「極左の政権」(石原)、「陰湿な左翼政権」(あべ)などと称賛されているように、菅氏は元・市民運動、仙石氏は東大法学部の元・フロントであり、その他、衆議院議長に旧社会党の横路氏、参議院議長に旧社青同・社民連の江田五月氏、法務大臣には元・中大全中闘の千葉景子氏、といった具合にまさに「元・革命家の政権」の様相である。たしかにこれは、菅大臣の遠祖・菅原道真が失脚して藤原氏による官職独占以来のことであり、あるいは敗戦直後に正田美智子さんが皇太子妃になったことに匹敵する出来事であろう。

しかし、当面の荒廃せる日本の生活者にとって重要なことは、中曽根政権以来、じつに四半世紀ぶりに、実力で台頭してきた有能な実務家がしかるべき要職に就いたということのほうにある。

だが、この棚ぼた感には、素直に期待できないところがあるのも事実である。あまりに酷い末期自民党の世襲政治の永続によって習い性になった感覚がこびりついているせいか、さすがにこの現実にリアリティが感じられないのである。

政治は個人の技量だけを競う個人競技の世界ではないから、スリートップがいかに優れていても、それでうまくいくとは限らない。たしかに人の和は、スリートップの所では得られたが、民主党全体、国民世論との間では未知数である。それは棚ぼたでできた体制だからである。それに、菅氏も若干、舌禍傾向のある人のようで、本人はその気はないであろうのに、ちょっとした物言いから、早速、小沢グループの、これはこれで子供じみた反感を買ってしまっているようでもある。自民党の派閥抗争にはみられなかったような子供っぽさが露出してくるのが、どういうわけか民主党の特徴となっている。

天の時、地の利ということでいうとどうかは今の時点ではわからないが、2008年恐慌も一服感がみえつつあるだけに、いい面もあれば悪い面もあるという程度とはいえるが、この間、民主党の掲げる「脱官僚・政治主導」のスローガンも、言葉だけの空文句だったことが判明し、菅内閣では、実務レベルで官僚に取り込まれるか否か、際どいせめぎ合いが待っているようである。

心配なのは、マスコミ論調に踊らされやすい軽薄なタイプの政治家が一部、前面に出てきたことで、当面の参院選対策としてはよいのかもしれないが、この一連の人々があっという間に、官僚・マスコミに籠絡されることは目に見えている。

日本のマスコミはジャーナリズムというものを完全喪失し、ただ対米従属=「核の傘」のもとで、経済的に沈没しゆく日本船の中でぬくぬくと格差社会の上層部にいすわり、ああいえばこういう社説で愚民を惑わせながら、自分たちの既得権益の現状維持を続けていられればそれでよい機構と化していることは、明白にみてとらねばならない。小沢バッシングの異常性は、端的に異常であるからだ。

さらに、いうまでもなく、鳩山首相が自爆のスイッチを押した普天間問題が最大の難関として立ち塞がっている。残念ながら、いまの日本社会のおかれている凄惨な情況の優先順位からすれば、巧妙に「忘却」の方向に追いやられることにならざるをえないであろう。そもそも、菅、仙石、枝野氏らの得意分野が外交・安全保障ではないであろう。

しかし、もし参院選の結果、安定政権が実現すれば、中長期的な日米中の戦略的関係の見直しの中で在日米軍のテニアン等への移設等を位置づけ、当面の普天間基地の危険性除去をどうするかというかたちで沖縄県民、日本国民との対話を通じての解決が図られることも可能となるかもしれない。そうなることを期待したい。民主党政権が英国の政権交代並みに、一回り十二年は持続することによって、着実に日本社会の治癒に成果を上げてもらいたいものである。

民主党が参院選で単独過半数をとるぐらい勝利すれば、たしかに自民党は完全消滅するであろう。しかし、それはまだ次なる混沌のはじまりでしかないかもしれない。雨後の竹の子の新党(みんな、立ち枯れ、ますぞえ)はみんなの党を除けばいずれも清和会系である(中曽根、渡辺美智雄・喜美の系譜は清和会系とは異質の現実主義的右派である)。
政界再編劇においては、何はともあれ清和会=極右勢力を徹底的に分断、解体する方向にもっていくことこそが水面下における最重要政治課題だということを透徹して見通し、それに基づいて戦略を立て行動するだけの政財界の強靱な実力者--かつての松永安左エ門、田中清玄のような--というものは今の時代、いるのであろうか。できれば小沢一郎、田中真紀子、鈴木宗男の各氏には深く考えて行動してほしいと思う。
 

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